むかしむかし、そんな歌が日本中に流行したそうです。
それほど、人々が熱狂的にあこがれたのが「伊勢参り」です。
「おかげ参り」とも言われ、60年に1度の「おかげ年」には、特に大勢の人々が伊勢神宮を訪れました。最も多かった年の参拝者はなんと500万人におよんだといいます。日本の人口がまだ3000万人ほどだった江戸時代のこと。
どれだけ凄まじいブームだったか想像がつきます。全国各地から伊勢神宮をめざす道は、参拝道として整備されました。出発地や経由地によって、「伊勢街道」をはじめ、「伊勢別街道」「和歌山街道」など幾本もの道ができました。中でも一番利用者が多く、規模も大きかったのが「伊勢街道」。
東海道との分岐点である四日市宿の「日永の追分」からはじまり、
多くの街道と合流して伊勢神宮へと向かう道でした。
きっと、今の原宿・竹下通りや大阪の心斎橋筋にも負けないぐらいの
にぎわいを見せていたに違いありません。

伊勢街道は、日永の追分から、神戸・白子・津・島貫・松阪・上野・小俣といった宿場町を通り、終着点である伊勢神宮のお膝元、宇治山田へと到達します。「伊勢に行きたい伊勢路がみたい」と歌ったのは「伊勢音頭」。
その歌の冒頭に「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」という歌詞があります。
それは、津の藩主だった藤堂高虎が、津城の城下に伊勢街道を通して宿場町とし、伊勢の国と津藩に繁栄をもたらしたことを讃えたもの。
「津」は、伊勢街道の中でも、最も栄えた宿場町のひとつでした。

電車も車もない時代。人々は街道を
歩いて旅をしました。江戸からは片道15日間、
大阪からだと5日間、名古屋からでも3日間もかかったと言われています。
もちろん、東北や九州の人々は、さらに長い道のりを歩いて参拝しました。
そんな旅人たちが、歩き疲れた足を休めて一息ついたのが、街道沿いの茶店。そこで供されたのは、お茶と餅菓子でした。甘味が貴重だった当時、甘い餅菓子は旅人を癒すとっておきの贅沢でした。
それと同時に、腹持ちのよい餅は、道を急ぐ旅人が手軽にエネルギーを補給できる、ファストフードのような役割も果たしました。いずれにしても、格別な旅の思い出の味となったことは間違いありません。
伊勢街道沿いには、江戸時代の旅人たちをもてなした味を受け継いで、
今なお昔ながらのお菓子をつくりつづけている和菓子店が残っています。
伊勢街道の宿場町・津の中でもひときわ栄えた「津観音」の門前町・大門。
そこで九代にわたって餅店を営む、わたしたち「玉𠮷餅店」もそのひとつ。
江戸時代の終わりに「玉屋𠮷兵衛」が餅、せんべいを商う店として
のれんを上げた「玉𠮷」の味を、代々受け継ぎ、大切に守り続けています。